世界中からショコラティエ集結
あべのハルカスを散策していると9Fでバレンタインフェスタが催されていました。
女性陣は大はしゃぎで世界中から集まったチョコレートに目を奪われていました。
その中でワザワザイタリアからショコラティエが来ている店舗がありました。
トップ写真のファビオ氏だったのですが、たまたまおられる時間帯にいたようです。
ネコママだけちゃっかりと試食のチョコレートを3ミリほどせ占めていました。(^^)/
近畿で一番美味なチョコより二枚上手
ネコママ曰く、奈良で一番おいしいチョコレート屋さんよりも、2枚上手。
美味しさが桁違い。だそうです。
僅か三ミリの試食でそれほどまでとは、正直信じられない言葉ですが、ネコママが言うと妙に信ぴょう性があります。
その帰りに車の中でネコママと最近何かと気になっている、スペシャルティ珈琲とトップスペシャルティ珈琲との違いについて話をしました。
車の中でコーヒー論議
マスター:スペシャルティ珈琲とトップスペシャルティ珈琲のちがいってなんだろ?
ネコママ:それは、作る人の思い入れの違いだね。
マスター:小生は、農薬とか化学肥料を使っているかだと思うんだけど。
ネコママ:それも含めての、ヒトが思いを込めて作っているかどうかだね。
マスター:そうかな?トップスペシャルティ珈琲作ろうと思ったら、化学物質なしでいかないとダメなような気がする。
ネコママ:違う違う。そんなん関係ないって。
マスター:そうかな?もひとつ、量産できるかどうかもかかわっているような。例えば、質が落ちたカクエンジだけども、2年前はCOE・去年はトップスペシャルティグレード・今年はただのスペシャルティ、これってたくさん取れるからあまり努力しないような気がするの。沢山取れれば、それだけお金になるし、生産量が少なければ、質に力を入れて美味しくするしかないしね。
ヒトの思いがクオリティーを上げる
しかし・・・いろいろと思いを馳せていると、やはりネコママが言っていることが正しいような気がします。
要するに品質の違いを生み出すのは、クオリアの差ではないかと思うわけです。
クオリアという言葉は、脳科学者の茂木さんが編み出した言葉なのですが、ファビオ氏にしても、ネコママにしても、あるいはトップスペシャルティ珈琲を作り出す人にしても、脳の中で作られる世界が桁外れに感動的なものだという事です。
凡人と天才のクオリアの差
ネコママはわずか3ミリのチョコの試食できっとファビオ氏が感じたクオリアを感じ取ったのではないだろうかと思うわけです。
結局は美味しい、あるいは美味しくないというクオリアは、ヒトが感じるかどうかに掛かっていると思います。
いくら努力しても、圧倒的な”質感の体験”、なしには何事も生まれないというわけです。
凡人と、天才の差というものは、この感じる心があるかどうかにかかっているのかもしれません。(^^♪