すぎた珈琲マスターのプロフィール
誕生→幼少時代
1969年9月13日、東大阪の西堤で生まれる。
すぐに喜里川町に引っ越してハタチまでその辺で暮らす。学生時代は将棋と水泳三昧。将棋の腕前はアマ3段程度。好きすぎて徹夜で打ってしまうため、現在は将棋禁止。
天啓を受ける
17歳の時に雲が割れて光が差し、天啓を受ける。それ以来、永遠に神と共に歩むことを契約する。(どこの宗教にも属してませんが)
自衛隊に入る
20歳の時、自衛隊入隊。以後30歳まで約十年間、第37連隊普通科連隊・信太山駐屯地に在籍する。
自衛隊で得たスキルは、①トライアスリートの活動で、アスリートとして目覚める ②軍事英語教育を受けて、日常会話レベルの英語力を身に着ける ③レンジャー訓練の参加で、自己の限界と不甲斐なさ、醜悪さを知る
ダイビングと水中写真の世界へ行く
自衛隊のルーティンワークに嫌気がさして、水中写真の世界に行くことを決め、除隊する。
サイパン島でスクーバダイビング・インストラクターになり、活動を開始。ビザを取りヤップ島のマンタ・レイベイ・ホテルに就職。通訳・水中ガイド・日本人観光客誘致の仕事を賜るが、ヤップ島の現地調査中にホテル経営者の悪行を知り、やむなく日本に帰国。
沖縄の那覇で水中写真活動をしているときに、東亜フォトニクスに拾われる。
デジタル部門の前任者から、マックによるDTP・ファイルメーカーでの写真データベースの仕事を引き継ぎ、必死の思いでイラストレーター・フォトショップ・ファイルメーカー・マッキントッシュの使い方を覚える。
その後、独立して関東圏で水中写真の仕事の営業をしいる最中に、ナショナルジオグラフィック日本版に取り上げられる。
自家焙煎珈琲の世界に入る→起業
横浜で通い詰めていた、自家焙煎コーヒー豆専門店で、綱島店の店長と話をしているときに、コーヒー好きが高じて、その世界に勧誘される。
社長との面会を経て、コーヒーローストグループに入社が決まる。コーヒーの世界に入るとともに、二年ほどその当時流行していたオンラインゲーム・リネージュⅡにはまる。
2005年3月、珈琲焙煎の技術を取得すると同時に、地元の関西圏に舞い戻り、自家焙煎珈琲豆専門店を開業する。
ネコママとの出会い・マーケティングの大切さを知る
5分間のテレビ出演・気ままにエキサイトがきっかけで、平群駅前の一号店が黒字になる。この時メディアの大切さを知る。
一人で神の道を歩むことに限界を感じていたこの時、祈りと導きによって、永遠の伴侶、ネコママと出会い結ばれる。
しかし、ネコママと始めた菊美台二号店では、ブランディング及び、メディア戦略に失敗。経営が低空飛行のまま、5年が経過する。
2018年3月、オウンドメディア・ブログ集客に活路を見出し、外部からの影響を受けにくい独自の広告メディア、及びECサイトをXサーバー・ワードプレス・Welcartの導入によって実現するため日々格闘する。